1

心臓町は不気味な街だ。
心臓町には『郷土史』と呼ばれる物が無い。といっても良い程歴史的資料が見つかっていないらしい。
一応隣町の肉桂町や味蕾町の郷土史にはちらほら心臓町の名が出てくるそうなので 単に本当に心臓町の歴史を記す者がいなかったのか、それとも実は元々肉桂町や味蕾町だった土地を1つの町として独立させただけかもしれない。
だが心臓町がどんな歴史を歩み、どんな運命を辿って来たのか誰も知らないらしい。

それは人間にも同じ事が言えるだろう。
普通に暮らしている上では他人の歩んで来た人生などそうそう知るものではない。
そういう見方をすると、心臓町は一人の人間として本当に血が通って成長しているのではないかと 不意にそう思う事がある。

凩は赤茶色のレンガの敷き詰められた遊歩道を歩きながらどんよりと曇った空を見上げた。

今日は風花の18歳の誕生日という事もあり前々からずっと食べたいとせがまれていた大脳公園前のカフェにあるイチゴケーキを買いに来たのだ。
本当は風花を連れてどこかへ出かけたかったが、生憎病弱な風花は部屋から出る事が出来ない。
だからせめて家の中でささやかなお祝いをするために兄である私は今日は仕事を休んでここまで赴いたわけだ。

大脳公園の駐車場を過ぎたあたりに焦げ茶色の外壁の小さなカフェが見えた。
そういえばここはいつも通り過ぎるだけで一度も入った事は無いな。と、ぼんやり見つめながら 疲弊した体をしばらくカフェで一休みさせることにした。
洋風の白いドアを開くと、病屋のくぐもったドアベルの音とは違いチリンチリンと軽やかで澄んだ音色が響いた。 
なかなかシックで落ち着いた店内だが何かと人気のある店らしく若い女性が席を埋めていた。
レジ横のショーケースに色とりどりの小振りのケーキが並んでいて目を迷わせる。
女性を惹きつけているのはこの所為だろうか。
お目当てのいちごケーキには “おすすめ” と可愛らしい文字で札がつけられている。
今度刑事達にもお土産にいくつか買って行こうかなと思案しつつ運良く空いていた窓際の席に通された。
メニュー表にはオシャレな筆記体でメニューが連なっており小さなルビが振ってある。
沢山の種類のケーキがあったがケーキは風花と一緒に食べたいのでコーヒーだけ注文した。

2

「はぁ…」
頬杖を付いてガラス窓の外を眺める。
曇りの空に大脳公園の木々が重く生い茂って風が吹く度ざわめいている。まるで蠢く巨大な緑の化け物のようだ。
風に靡く緑を眺めているとちょうど目の前の歩道を薄い紫のヴェールを被った女性が通り過ぎた。
その姿は喪服を連想させたが占い師という印象も受ける。
なんとなくだがすれ違い様にその女性と目があった気がして思わず頬杖を崩して席に向き直った。
しばらくすると店の扉が開いてチリンチリン、と軽やかなベルの音が鳴った。
もう座る席はないだろう。
凩は四人がけの席に一人で陣取っているのでもしかすると相席にでもなるのだろうか?
と店内を見回していると案の定だった。
トレーを持ったウェイトレスがコーヒーカップを目の前に置くと
「申し訳ございません、お客様相席よろしいでしょうか?」と尋ねて来た。
「一人、ですか?」
友達連れと相席になると気まずくて落ち着けないのでそう尋ねると
「女性のお客様がお一人です。」と返して来た。
「ああ、そうですか、良いですよ。」
凩は作り笑顔で愛想良く答えた。
ウェイトレスは「ありがとうございます」と事務的に礼を述べ先ほど入って来たと思われるお客を連れて来た。
「あ」
思わず声が漏れた。
その客はさっきのヴェールを被った女性だったのだ。
女性は静かに向かいの席に腰を下ろすとあらかじめ注文していたのか別のウェイトレスが女性の前にアイスティーを置いて去って行った。
女性がヴェールを脱ぐと再び「あっ」と声が漏れた。
「あなた…あの、」
その顔は見覚えがあった。
目の前に座ったのはテレビで何度か見た事のある有名な女占い師、葛の裏だったのだ。
「あまり、騒がないでいただけます?」
話しかけようとすると葛の裏は鈴の鳴るような声で制止した。
「す、すみません。」
葛の裏は確かもう30歳を超えていた気がするがその顔は幼さの残る少女のような印象を受けた。
あまりじろじろ見るのは失礼だと思ったが目の前にテレビの中の人がいると思うと軽く興奮してしまう。

葛の裏はその見た目からよく占い師、と紹介されるがあまり好ましく思っていないらしい。
なぜなら占いをするわけでは無いからだ。本当の職業は予見者、と名乗っている。
その名の通り、葛の裏の予見は百発百中と言っても過言ではないほど良く当たった。
その予知能力は生まれつきだそうだ。
3歳の時にはすでに世界でどんな事件が起こるかを言い当てていたらしい。
凩は特番でそういうのをたまに見かける程度の知識しか持っていないが 葛の裏の力は本物で、国の未来を予見してもらうために政府に保護され特別待遇で 何不自由無く生活しているという噂は凩でも知っているほど有名だ。
「あなたは、病屋という店を知っていますわね?わたくしにその場所を教えてくださらないかしら。」
葛の裏は酷く上品な口調で尋ねる。しかしその問いかけは凩の心を不穏な影で曇らせた。
「病屋…ですか…?」
私が病屋を知っていると見通せたのはやはりそういう能力が本物だからだろうか。それよりも病屋に何の用があるというのだ。
「あの、差し出がましいですが病屋へ行くのはお勧めしません。あそこで病を買った人間は命を落とす危険がある。」
葛の裏は無表情で凩を見つめた。
「…あなたは、不思議な人ですわね。なんだが歪んでいて良く見えないわ。」
「え…」
「わたくしには時間がないの。今日、病屋へ行かなければ…」
「どういうことですか?私は精神科医をやっている凩と申します。あの、私で良ければ相談に乗りますけど…」
自分のこのお節介はいつも悪い癖だと思う。
でもあの危険な病屋へ行こうとしている葛の裏を見過ごすことなど出来なかった。
だからせめて自分が解決出来そうな相談であれば乗ってあげようと思ったのだ。
「ありがとう。凩さん。でもね、わたくしは運命が見えているの。病屋で、病を買う運命が」
「運命ですか?」
「ええ…」
葛の裏の顔が一瞬険しくなる。
「私には、明日が無いのです。なんとかするために病屋で…」
「待ってください、明日が無い、というのは…」
葛の裏はアイスティーに差し込まれたストローを咥える。
伏せた目がなんだか怯えているように見えた。
「わたくしの未来が、見えないのです。それがとても怖いのですわ。」
「未来が…?」
「ええ、他の方の未来は何となくわかりますわ。でもわたくしの未来は道がぷっつりと途絶えた様に真っ暗で、わたくしがその先どうなってしまうのか全くわからないのです。」
凩はしばし悩んだ。
自分は予知能力者ではないから、未来がどんな風に見えるのか想像もつかない。
「病屋へ行ったから、死んでしまう、ということではないのですか?あそこはそういう危険をはらんだ店なんですよ?」
毒田の病によって葛の裏が命を落とす所為で未来が見えないのではないか?と真っ先にそう思った。
凩は葛の裏が病屋へ行く事は良い事だと到底思えなかった。
自分は知っているのだ。毒田は人の死を何とも思わない。
それどころか自分が病を売りつけた責任を無視して人はいつか死ぬ、と当たり前の事を言って誤摩化す。
「いいえ。死ぬなんて人生で最も大きな出来事でしょう?そういう大きな事は絶対にわかるのです。でも自分の死に際は見えない。わたくしの未来は病屋を訪れた所から途絶えているのです。」
「…そうですか…途絶えいている、ということはもしかすると能力を失うのではないですか?病によって」
「予知能力を失う病をわたくしが買うと…?」
「ええ、死ぬわけではないのだとしたらそう考えるのが一番説得力があるのではないですか?」
「未来が…見えなくなる…」
葛の裏は暗く沈んでいる。
アイスティーのグラスを伝う水滴が紙のコースターにじんわりと染み込んでいった。
凩には葛の裏の気持ちが理解出来るわけではなかったが、単純に予知能力を売りにして今まで生きて来たのだ。
その頼みの綱を失うことに恐怖や不安を感じても仕方ないと思った。
「葛の裏さん、私には予知能力の事はわかりませんが、人は未来を知らずに生きている人ばかりですよ。 私も、この店にいるお客さんも心臓町に住んでいる人も世界中の人達は未来を知らずに生きているんです。 だから、未来が見えないということをあまり悲観しない方が良いのではないでしょうか?未来が見えないからこそ、みんな希望を持つ事ができるんですよ。」
未来に何が起こるかなんて誰もわからない。その先に待ち構えているのが希望なのか絶望なのか、 誰にもわからないのだが凩は葛の裏を励まして、なんとか心変わりをしてくれないだろうかと御託を並べた。
「…そう、他の方にはそういう能力を持たないことは存じておりますわ。でもね、いくら大勢の人達が未来を知らずに生きていると言っても わたくしにとっては盲人が杖を奪われるようなものなんですの。だから、この未来を変えるには病屋へ行くしかないのです。」
葛の裏の意思は揺るぎそうになかった。
「葛の裏さん、病屋でどんな病を買うつもりなんですか?」
葛の裏が病屋を訪れたとして未来が見える様になる病、など本当にあるのだろうか?毒田が売っているのはあくまで心の病であり身体に関わる病ではないと思っている。
それとも嘘偽りの未来が幻覚として見える病でもかけてやるつもりなのではないだろうか?
病屋で、何らかの病を買ってその先の未来が見えなくなる、とても危険なことだと凩の本能は告げている。
だからこの人を安全な所に保護してもらおう、そんな考えがよぎる。
「そうですわね、希望を…、希望を持てる病、ですわね」
葛の裏は静かに微笑みながらそう答えた。
「え?希望…ですか?」
予期せぬ答えにうろたえてしまった。
「それでは不服かしら?」
葛の裏にはお見通しのようだ。
「いえ、あの、てっきり予知能力のようなものを得る病かと…」
「そう。そうよ。わたくしにとってそれが希望を持つ、ということなの。たとえ不幸な運命が待ち構えていたとしてもわたくしはそれを受け入れて生きて参りましたわ。生きる、というのはそういうことですの。プラスがあればどこかでマイナスが生じる。それは人が心を持った時点で逃れられない現象なのですわ。」
「はぁ、」
「ですから、未来がわからない状態で怯えながら生きてゆくよりも、幸も不幸も受け入れながら生きる方が何倍も幸せなのですわ。」
凩はほんの少しだけ自分を恥じた。
同じ人間なのに、生きる畑が違うとこうも出来上がる価値観に違いが生じる。
自分が良いとしたものはきっと葛の裏にとっては良くないものなのだ。
「ねえ、凩さん?」
葛の裏に声をかけられふと目を上げた。
「今日一日、わたくしに付き合ってくださらないかしら?」
予期せぬ提案に一瞬目が点になった。
「へ?あの、でも私は病屋へ行くのは反対ですよ?」
「フフッ、デートですわ。」
「ええっ!!で、ででも私なんか見ず知らずの人間と…」
「いいのですわ。あなたは危険な人には見えませんわ。フフッ…それに、これで最後かもしれませんもの。わたくし、街を歩いた事がないんですの。こんな歳にもなって。」
葛の裏は困った様に眉をひそめて笑った。
どこか浮世離れした雰囲気を持っている女性だとは思ったが、もしかすると政府に軟禁状態でずっと生きて来たのだろうか?
「お代はわたくしが持ちますわね。」
凩がぼうっと考えているうちに葛の裏はさっと伝票を持って席を立った。
「えっあの、」
「いそがなくっちゃ。時間がないですわ。」
葛の裏はいそいそとヴェールを羽織い身支度を始める。
凩は少し温くなったブラックコーヒーを急いで流し込んだ。

3

凩と葛の裏はカフェを後にした。
葛の裏はふわふわとヴェールと揺らしながら歩き出す。
「あの、どこへ」
「そうですわね。公園、に行ってみたいですわ。」
葛の裏が指差す先に蠢く巨大な緑の化け物が小さく口を開けていた。

葛の裏が小走りにそこへ向かったので凩も急いで付いて行く。
凩はやっぱり葛の裏を病屋へは行かせたくなかったのでこのまま付き添って病屋へ行かないよう監視すれば良いと思ったのだ。

木々の生い茂る森の遊歩道を進むと大きな池が見えた。
春頃にこの池は一度枯れかけていたのだが今はまた濁った緑色が揺蕩っている。
葛の裏は「水の匂いですわ」と汚れた手すりから身を乗り出して池の水を眺めている。
「あら、凩さん、魚がいますわ!白と赤の珍しい!変な魚!」
葛の裏ははしゃぎながらこちらに手招きした。
「あれは錦鯉ですよ。こういう池には割といますよ。」
「そうですの。池に住む魚ですのね。」
葛の裏はさらに歩みを進めると芝生の広がった広場に出た。
古びているが子供用の遊具がいくつか並んでいて、休日なんかは人で溢れているのだろうが今は閑散としていた。
「あれ!わたくし乗ってみたかったのですわ!」
葛の裏がたたたっ…と小走りで向かうのはペンキの剥げて錆び付いた小さな滑り台だった。
少々窮屈そうに階段を上げるとしゃがみ込んで滑り台をのろのろと滑る。
まるで童心に返った様にはしゃいでいるその姿は凩の中に芽生えていた葛の裏の上品そうな見た目から受けるイメージをことごとくぶち壊してゆく。
「なんだか想像してたのとは違いましたわね。」
葛の裏は少ししょんぼりした顔で凩の元に戻って来た。
「子供が遊ぶものですからね。」
「ま、失礼な方ですわね。」
葛の裏が何に機嫌を損ねたのかよくわからなかったが「おしりが大きくて悪かったですわね。」と付け足されて
「ああ…」と申し訳なくなって少し顔が熱くなった。

次に葛の裏が向かったブランコはいたく気に入ったようだった。
「凩さん、楽しいですわ!これ!凩さんもはやくブランコなさって!」
「ブランコはその座っている所に立って乗る子供も多いですから、服が汚れますよ?」
ブランコの位置が低い所為で葛の裏の足首まで隠す長いスカートもヴェールの先も地面を砂を擦っている。
そのことを教えると
「あら、それはいけませんわね。」と葛の裏はぱっと立ち上がって尻に付いた砂を払った。
「公園で遊んだ事無いんですか?」
育ちが良過ぎてこういう所に来た事がないのだろうか?という軽はずみな考えに対して葛の裏の返答はあまりにも重々しいものだった。
「3歳の頃から予見をしていたことはご存知?わたくしの親はね、政府に売りましたの。可愛い娘を。」
「そんな…」
「わたくしはそのことも悟っておりましたから、しばらくするとこの人たちとは会わなくなる。だからわたくしが親に懐く事もなかったんでしょうね。それでいっそう…」
葛の裏はあっけらかんと答えたがやはり自分の身の上が普通の子供と違っていたことは嫌だったのではないか、どことなく寂しげな空気がそう思えてしまう。
「でも3歳で引き離して何とも思わないのはおかしいですよ…そんなの」
「フフッ…ありがとう。凩さん。でも、両親はわたくしが何か恐ろしいものではないかと怯えていたのかもしれません。何度か面会にいらした時にぽつりとおっしゃいましたわ。わたくしが生まれる前、両親は有名になれるような特別な能力を持った子供が欲しいと切に願っていたそうですの。するとある晩の夢に不気味な男が現れてこう言われたんですって。」
葛の裏の言葉にごくりと喉が鳴る。
「腹の子に高い能力を授けてやろう。って」
「不気味な男…?」
何故か脳裏に毒田の顔が浮かんだ。
「ええ、それからわたくしを身ごもっていることがわかって…今となってみればあれは神様だったんじゃないかって母はおっしゃいましたわ。わたくしにとってはこんな能力を持って生まれるなんて全然嬉しくなかったのに…。」
葛の裏は普通に暮らす、という人生を予知能力のおかげで生まれながらに奪われたのだろう。
それは少し憐れに思えた。
しんみりとした空気が少し冷たい風となって二人の間を通り抜けた。
凩はこの空気が居心地悪くて、話を変えようと少し気になっていた質問を問いかけた。
「あの、葛の裏さん、未来が見えるってどんな風に見えるんですか?」
それはきっと予言者を目の前にした時に誰しもが思う疑問だろう。
「そうですわね、頭の中に、イメージが浮かぶのですわ。手に取るようにわかるのは自分の未来、社会揺るがすような事件に、大勢の人を巻き込む事故や災害、それと他者の少し先の未来ね。意識すれば他者の過去から未来の人生も見えますわ。これはかなり疲れますけれど。ただし音は聞こえません。映像のみですの。だから自分の予知は自分の視点、相手の予知は相手の視点、不特定多数の人が関わる事はニュースですとか新聞に書かれていることを見る、という感じですわね。」
「へえ、なんだか信じられないな。」
素直な感想だった。自分だったら多分ただの妄想として片付いてしまうのだろうがきっと葛の裏はその妄想が現実に起こってしまうのだろう。

突然遠くでチャイムの音が鳴った。懐かしい音だ。
きっとこの先にある手野平高校の鐘の音だろう。
時計を見るともう1時を過ぎている。
「何の音ですの?」
「学校のチャイムですよ。この先に高校があるんです。」
「学校、行ってみたいですわ!」
葛の裏が食いついた。
「ええ?もしかして学校も行ってなかったんですか?」
「基礎学習は個別で教師が付いておりましたわ。でも学校のようなたくさんの同世代の子達と勉強をした事はありませんわね。」
「はあ、そうなんですか…」
葛の裏には驚かされる事ばかりだ。
とりあえず校舎には入れないだろうと告げて高校に向かう事にした。

4

手野平高校は縦に平べったい二棟の校舎から成り立っていて銀色の高いフェンスが校舎とグラウンドを囲んでいた。
「本当に勉強する所ですの?えらく騒がしいですけれど、」
葛の裏は不思議そうな顔で手野平高校を見つめた。
生徒達が校舎内を忙しなく移動しているがやがやとした賑わいがここまで伝わってくる。
「今は掃除の時間じゃないですか?昼休みが終わったばかりだから今からみんなで掃除を始めるところですよ。きっと。」
「まあ、そんな時間があるの?みんなでお掃除なんて楽しそうですわね。」
葛の裏はしばらく学校に羨望のまなざしを向けていたが、そのうち気が済んだのか「じゃあ、次はどこへ連れて行ってくださるの?」と凩の方へ向き直った。
「えっ…と、そう言われましても、葛の裏さんどこか行きたい場所あるんですか?」
「商店街。」
葛の裏は含みを持った笑みを浮かべている。
商店街は危険だろう。多分葛の裏はわかって言っているのだ。
商店街は約束通りと指切り通りの二つがあるがどちらにしても病屋へ近づけてしまう。
しかし凩は悪いと思いつつ1つ考えを決行する事にした。
「商店街ですか。わかりました。商店街はこっちですよ。」
こうやって素直に案内すると見せかけてそのまま警察署へ行って葛の裏を保護してもらうのだ。
大脳公園を横切ってしばらく歩けば警察署へ着く。
しかしそんな思惑を一蹴する様に葛の裏は
「凩さん、わたくし電車に乗りたいですわ。」と凩と反対方向を向いた。
葛の裏が指差した先には比較的新しい駅がある。
「電車ですか?でも…それに乗ると商店街へは…」
「では近くに行ってみてもよろしくて?」
葛の裏は凩が制止しようとするのも無視してそのまま駅へと向かった。


「これはなんですの?」と指差したのはジュースの自動販売機だった。
駅に着いて葛の裏が一番に興味を持ったのは自動販売機らしい。
「お金を入れて、欲しい飲み物のボタンを押すと下から商品が出てきますよ」
と説明すると物珍しそうに眺めていたのでその隙に凩は指切り通りの南口駅とは逆の電車の切符を買った。
「葛の裏さん、こっちですよ。」
凩はなんとなく葛の裏を騙すことに心を痛めたが病屋で病を買ってしまうより何倍も良いと思う。
指切り通りと逆のホームへ連れて来た。運がいい事に一時間に数本しか通らない電車ももうじきやってくる。
肉色の電車が近づいてくるのが見えた。
「まあ、あれが電車ね。実際に見るのも乗るのも初めてですわ。」
葛の裏が何の疑いも持っていないようで安心した。
電車が到着して乗り込むと平日の昼間という事もあってか乗客は少なかった。
隅のボックス席に座ると葛の裏は「旅行みたい」とフフッと笑った。
葛の裏はヴェールで顔を覆っているため表情がすごくわかりにくいのだがはっと凩がその顔を見ると 葛の裏と目が合ってしまって若干気まずそうに視線を窓の外に移した。

5分程停止してもうじき電車が出る、というところで凩は安心しきっていたのだが、突然葛の裏は立ち上がって電車から降りてしまった。
「えっちょっとどこへ…!?」
なびいたヴェールがドアに挟まれるぎりぎりで外に飛び出してしまった。葛の裏を捕まえようにもドアは既に閉まっていて 窓越しに呆然と葛の裏を見ると葛の裏はにこりと笑って手を振った。
「…そうか僕の未来を見たのか…」
凩はうなだれた。
凩は商店街へ行くつもりなど毛頭なかった。
警察署へ行くビジョンが彼女には見えていたのだろう。
電車は無情にも心地よい揺れとともに凩と葛の裏を引き離した。

5

血管住宅街駅に付いた電車から吐き出される様に凩は降り立った。
さて、どうしたものか。
電車で引き返そうにも次の電車が来るまで1時間近く時間が空いているしバスの時間も似たようなものだ。 とりあえず警察へ連絡すべきだろう。
葛の裏が政府の重要人であれば警察も葛の裏を捜索中のはずだ。
上手く行けば警察に保護されるかもしれない。
携帯電話を取り出して歌無雄に電話をかけてみた。
『はい。凩先生!どうかしました?』
歌無雄はなんだか妙にそわそわした口調だった。
もしかすると忙しい時に電話してしまったんだろうか。
「あ、葛の裏さんって占い師の人と会ったんですけど、もしかすると警察で探してるんじゃないかと思って…」
『葛の裏さんですか?!』
歌無雄は急に声を張り上げた。やはり葛の裏は政府の重要人物なのだ。警察も血眼になって捜索しているところだったのだろう。
『あの、それで葛の裏さんはどちらに…』
「それが、電車に乗りたいとおっしゃって一緒に乗ったんですけど隙を見て降りてしまって、はぐれたんです。 でも葛の裏さんは指切り通りの病屋へ向かうつもりです。病屋は危険なんですよ。警察で保護してあげてください。」
『病屋…ですか?先生がこの間言ってた』
「そうだよ。葛の裏さんは病屋で病を買うつもりなんだ!早く止めないと…」
『わかりました。情報ありがとうございます。こちらで捜索隊に知らせますので。』
そういって歌無雄との通話を終えた。
警察が動いてくれれば大方安心できそうだ。
しかし歌無雄が少々怪訝そうだったのが引っかかった。もしかするとまだ病屋の場所を調べていないのかもしれない。
なんとか指切り通りまで戻って、病屋へ葛の裏を探しに行こう。
だけどもなんだかもうあの人と会えないような、そんな気がした。

6

電車もバスも近い時間が無い上、指切り通りには車を駐車できそうな場所もないので 比較的大きな道路まで出てタクシーを捕まえてとりあえず指切り通りの無人駅を指定した。
運転手には少し怪訝な顔をしながら「何の用があるの?」などと尋ねて来た。
無理も無いだろう。普通は指切り通りなんてわざわざタクシーで行く程なにか有用なものがあるわけではない。
駅に着くと時計の針は2時半を差していた。
昼間だというのに相変わらずこの周辺人の気配がない。
葛の裏は徒歩のはずだし、土地勘も交通機関の利用方法も知らない様に思えた。
運が良ければ病屋へ辿り着く前に先回り出来そうな気がしたのだ。

指切り通りの入り口に向かって歩いていると国道を挟んだ向こうに真っ黒い小さな影が立っていた。
前に会った事があるような…
国道を渡り指切り通りに入る。影の様相がだんだんはっきりしてくる。
その影はこちらに大きな眼を向けていた。
そうだ、この子は前に首吊坂くんを探していた子だ。
「こんにちわ。ここで何やってるの?君、学校は?」
なるべくにこやかに話しかけてみた。
前と変わらず無表情でやたらと目つきだけが厳しい少年だ。
「君さ、こう、紫色のヴェールを被った女の人見なかったかな?品のある女性なんだけど…」
「枯らす…」
「え?」
少年は不意に“からす”と呟いた。
「おれは、枯らす。」
「枯らす…?どういう意味?」
言っている言葉の意味が理解出来ず困っていると「先生、」と後ろから気怠げな声が聞こえた。
振り返ると病的ではあるがガタイの良い刑事、首吊坂が両手におなじみの折れ曲がった金属棒を持って立っていた。
「首吊坂!」
少年は声の主を見つけると風の様に凩の横を通り過ぎ、後ろにいた首吊坂の黒いカーディガンの裾に纏わり付いた。
「首吊坂くん何してるの?もしかして葛の裏さんを探しに?」
「何の事ですか?」
首吊坂は少年に腕をぐいぐい引っ張られ体がぐらぐら揺れている。
「葛の裏さんを探してるんじゃないの?」
「俺はダウジングしてるだけです。葛の裏って占い師の人ですよね。今朝行方不明になったって大騒ぎでしたけど、捜索はもっと上の部署の仕事ですよ。」
「そうなんだ…」
首吊坂は相変わらずだ。しょっちゅう仕事を抜け出してダウジングとやらをしているらしい。
「あ、それよりその子…」
凩は黒い少年を差した。枯らす、と口走っていたが…
「ああ、枯らすです。」
「枯らすって何…」
「名前みたいですよ。枯らすって。なんか物事を枯らしてしまうから“枯らす”だって。」
「物事を枯らす…?」
「そういう超能力ですよ。植物でも水でも、枯れるものはなんでも枯らしてしまうそうです。でも今は力を押さえられる様になってきたって言ってますよ。」
首吊坂が説明している間、“枯らす”は首吊坂の後ろからひょっこりこちらを伺っている。
物事を枯らす、と言われてもピンと来ない。何かが枯れるのが人為的であるならそんなのはあまり認めたくないだろう。
「布被った女は見た。」
「え?」
“枯らす”の思いがけない言葉にすぐさま反応する。
「どこで?」
「そこの通り歩いてた。けど途中でいなくなった。」
少年はぶっきらぼうに答えた。通りというのはこの先の指切り通りのことだろう。
葛の裏はきっと誰かに指切り通りの場所を教えてもらい自力で辿り着いたのだろう。
しかし病屋の場所となるとそう簡単には探し出せないだろう。急いで追いかければ間に合うかもしれない。
「えっと、枯らす君…?ありがとう。あ、そうだ首吊坂くんも来る?」
「病屋ですか?」
首吊坂の気怠げな目が珍しくギラッと輝いた。
「4時までには必ず帰ってこいって言われてるんですけど…そうですね。近くにあるなら行きたいです。」
「よし!じゃあ急ごう!葛の裏さん病を買うつもりなんだ。それはとても危険なんだよ!」
急いだ足で指切り通りへ向かう。
刃物屋へは少し距離がある。
これで首吊坂を病屋へ案内すれば警察も捜査しやすくなるだろう。
なんならその場で毒田を逮捕してもらっても構わないはずだ。
凩はよくわからない勝利を確信し拳を握りしめた。
しかし…

「あれ…」
指切り通りを進んでも一向に刃物屋が現れない。
逆方向だったか…?
このあたりは見覚えのある建物が並んでいる。
しかし、どういうわけか病屋のある不気味な通りに通じる路地の目印にしている刃物屋だけがぽっかりとその存在を無くしていた。
「この辺に刃物屋ってありましたよね?」
焦って首吊坂に尋ねるが「刃物屋ですか?あれって約束通りの方じゃないんですか?」と期待していた答えは返ってこない。
「いや、たしかにこっちの指切り通りだよ。」
「刃物屋…とくに注目した事無いんでわからないですけど…でも確か指切り事件のときに犯人が使ったカミソリはここの通りの刃物屋で購入されたもので、その事件の所為で店を移したんじゃありませんでした?」
首吊坂はボソボソと呟いた。
その指切り事件との関連はわからないが確かにこの商店街には刃物屋があるはずなのだ。
「手分けして探してみましょうか?」
首吊坂の提案に葛の裏の安否に一刻を争っている凩はすぐさま賛成した。
首吊坂と枯らすはそのまままっすぐ進み、凩は元来た道を戻ることになった。
刃物屋が消え失せてしまったことがどうにも腑に落ちない。
苛つく足が絡まりそうになりながら一軒一軒きちんと確認しながら指切り通りを歩く。
「あ、」
1ブロック戻った先に刃物屋はあった。
狐につままれた気分だ。
納得はいかないが記憶の齟齬をただの勘違いだと無理矢理に修正する。
首吊坂を呼ぼうと思ったが二人の姿が見えない。
今から呼びにいっていたら葛の裏が病を買ってしまうかもしれない
。 首吊坂にはこの間病屋の場所を伝えてある。刃物屋を見つければすぐさま後を追ってくるだろう。
申し訳ないけれどここはもう一人で先に病屋へ向かってしまおう。
凩は刃物屋の横の路地を進んだ。

7

ようやく辿り着いた病屋を前にして葛の裏は呼吸を整えた。
太陽を遮断した曇り空の所為で空気自体が薄暗い。
凩に案内してもらおうと思っていたが、あの精神科医は警察署へ連絡する未来が見えた。
病屋を訪れる未来も見えていたが、きっとそれは私を捜しに来るつもりなのだろう。
私を保護しようだなんていらぬお節介だ。
あの不便さも、自由も、何も無い世界へ連れ戻されてしまうのはごめんだ。
病屋の場所はわからなかったが、通行人に商店街の場所を教えてもらい、あとはいつも以上に集中して自分の未来を予見した。
見知らぬ街で予見通りの道筋を探して辿るのは大変骨の折れる作業だったが、まるで足が、頭が、体の全てが道筋を覚えている様に 路地裏に吸い込まれてゆくと、あれよあれよとこの店の前まで辿り着いたのだ。

ここはなんだか悪魔達の棲む世界のように思えて本当にこのまま進んでも良いのか一瞬戸惑ってしまうけれど 自分には見えない未来を、この病屋がどうにかしてくれるのかはわからないけれど何もしないで道標を失うよりは良い。
予知能力の無い私など、他に何の価値もない事をわかっているのだ。
この店に入った後のことはわからない。

葛の裏は目の前に建っている古びた店を見つめる。
足がすくみそうになるのを堪えて錆びた外装に嵌められた木製の扉を上げるとギイ、と音が鳴った。
同時に扉に付けられたドアベルがコロンと鳴る。

中はとても暗かった。
よくわからないガラクタが積まれていて、もしかするともう営業していないのかもしれない…
葛の裏にすこしだけ嫌な勘が横切るがそれは店の奥から放たれた声に打ち消された。
「いらっしゃい。ぎひひ」
どうやらちゃんと営業しているらしい。
するすると店の奥に進むと奥のカウンターテーブルに奇妙な男が腰掛けていた。
顔にケロイドと天然痘を模したような眼鏡をかけている。
小さなランプの明かりが揺らめく度、店内の影が生き物の様に蠢いてそのまま食われてしまうのではないかと戦いてしまう。
「あのぅ、もし?あなたは店員さん?ここが噂の病屋なのでしょう?わたくし、病を買いに来ましたの。」
葛の裏が勇気を振り絞ってそう言うと
「そうですよねぇ。お待ちしておりましたよ。ぎひひ。」
と、奇妙な男は口を三日月型に笑いかけて来た。
「僕は毒田。この病屋の主です。」
― 毒田…
この名前には少しだけ聞き覚えがある。
自分の予知能力がまだ生きている事に安堵する。
「わたくしは、葛の裏と申します。予見者、をやっておりますの。ですけど…」
「なにかお悩みですか?未来がわかるのに。」
「…わたくしに、希望を持てる病をいただけないかしら。」
「希望ですか?」
「ええ。実は、わたくしの能力は今日で途切れておりますの。これから先の未来が見えないのですわ。
これは自分自身の未来を予見した罰だとも思いましたが、しかたないんですの。だってわたくしにはこれから起こる事が勝手にわかってしまうのですもの。」
「未来が未知数になってしまうのは良い事ではないのですか?」
「ええ。お節介な方にも似たような事を言われましたわ。予知能力が無くなるのは未来に希望を持てる良い事だと、ですけどわたくしは…不安でしかたないんですの。だって生まれてからそういう風に生きて来たんですのよ?未来に何が待ち構えていて、自分はどういう風に生きてゆくのか何となくわかりながら生きてきました。それなのにその能力が無くなったら、突然目隠しして断崖絶壁で綱渡りさせられるようなそんな恐ろしさしかありません。」
「じゃあ、希望を持てるというのは運命を知り得る病、ということですね?」
「治せますの?わたくしの能力を…」
「病が治す、というのは少しおかしいですけどねぇ、ぎひひ。」
「わたくしにとってはそういう意味ですわ。」
「まあ、いいですけどね。お代はあなたの寿命1日です。それと引き換えにあなたの人生に希望を与えますよ。」
「ふふ、まるで悪魔の契約ですわね。良いですわ。それで残りの人生にしっかりとした足場ができるんですもの。」
「ぎひひ。お買い上げありがとうございます。ぎひひ」

8

凩は病屋の前に着いたが途中葛の裏を見かける事は無かった。
指切り通りで迷っていてまだここまで辿り着いていないのか、またはすでに病を買ってしまったのか…
汗のにじんだ掌が病屋のドアを開けた。 ※転載厳禁・山井輪廻※
勢いを付けた所為かドアベルがコロンコロンコロン…と、いつも以上に激しく鳴り響く。

「…いない…?」
店内はいつもと変わらず雑然と整然の入り交じる混沌とした空間、 しかしそこに客がいる気配はなく、しかしどことなく上品な香水の香りがするような…。
「ぎひひ。凩くんいらっしゃい。」
店の奥のカウンターテーブルの向こうに毒田がニヤニヤと笑みを浮かべて座っている。
「ここに葛の裏という占い師の女性が来ませんでしたか?」
「占い師じゃないよ。予見者だよ。」
毒田の態度は相変わらず飄々としている。
「葛の裏さんを知ってるんですね?」
毒田は心意が汲み取れない笑顔を見せた。
店内の暗さと毒田の顔を照らすランプの揺らめきで一層不気味さを際立たせる。
「彼女に病を売ったんですか?彼女はどこにいるんです?」
息が支えそうになりながら言葉を発した。
内臓全てに脂汗をかいているような感覚になり、ごくりと喉が鳴る。
「あの人はもうここにはいないよ。ぎひひ。僕はねえ病を売る事であの人に未来を与えたんだ。君がそんなに怒る事じゃないと思うよ」
凩は一瞬膝がガクリと崩れそうになるのをなんとか堪えた。
毒田が何か言い訳じみたことを言っているがそんな言葉を気にかける気力も無い。
― 葛の裏さんを救えなかったのか?僕は…
ふがいない自分に怒りか虚しさか、行き場の無い感情がわなわなと溢れ出した。

9

凩は病屋を出て不気味な通りのベンチに腰掛け、どこか奇妙な通行人達を目で追いかけた。
毒田は葛の裏は「もうここにはいない」と言っていたが、もしかすると葛の裏は毒田の手によって異界の者にされてしまったのかもしれない。
そんな馬鹿げた想像をどこか真面目に捕らえていた。
葛の裏は未来が見えないと言っていた。しかしそれは死ぬわけではないらしい。
とすればもしかすると葛の裏が葛の裏でなくなってしまう事を暗示していたのではないだろうか。
うむむと考え込んで地面に顔を向けると ふと、黒い通行人の足が目の前に立ち止まった。
「あ、白骨さん」
顔を上げると相変わらず死神のような全身黒ずくめの装いの白骨が立っていた。
帽子の鍔から覗く人形のような瞳は鋭い眼光を帯びていた。
「白骨さん、葛の裏さんを知りませんか?」
なんとなく葛の裏と白骨は似通ったタイプのような気がして一応尋ねてみた。
「あの女占い師か。彼女はもうここにはいないよ。」
白骨から返って来た答えに凩は目を丸くする。
「葛の裏さんの行方を知っているんですか?」
いない、という答えは毒田のそれと一致する。
どこか不吉な予感が凩の心を掠める。
「…彼女は毒田と契約してしまった。これは抗えない運命、という奴さ。」
「契約?」
「彼女は毒田に自分の寿命から1日を差し出す代わりに何度も生まれ直しているんだ。」
「意味がわかりませんが、まさか彼女は死んだ、とでも…?」
「死にはしないさ。死には、ね。契約した時点で、つまり死ぬ前に生まれ直しているんだ。」
生まれ直している、とはどういう事だろう。
彼女はどこかで赤子にでもなっているのだろうか。
「彼女はすでに1万歳を優に超えてるだろう。」
「えっ?いちまん……って」
一体どこからそんな馬鹿げた数字が出てきたのだろう。彼女はまだ30歳前後だったはずだが…
「今の彼女は転成後の寿命から1日を代償として再び0歳から生まれ直しているのだ。」
白骨の言葉に一瞬呆けてしまった。
そんなの馬鹿げている。SF小説じゃあるまいし…
凩はさすがに口を挟みたくなったが白骨は構わず言葉を続けた。
「私の見る限り本当の寿命は44年後だったのだろう。彼女は75歳の時に初めて病屋で病を買ったんだ。 それが悪魔に支払う代償とも知らずに。」
「どういうことですか」※転載厳禁・山井輪廻※
頭がこんがらがってきた。
なぜ44年後の事がこの人にわかるのだろうか。
そんな疑問を見透かしている様に白骨は答えた。
「私は霊感が強いのだ。あの葛の裏という占い師にも元々少しはそういう力があったのだろうが、何度も同じ時間を繰り返し生きていればおのずと近い未来に何が起こるのか魂が記憶しているんだと思う。」
「えっと、そういう力って、白骨さんも未来予知が出来るんですか?」
「予知ではないが自分が知りたい事は大体わかるだろう。上手く言えないが、自分が思った通りのことしか起こらない。という感じか。」
白骨は至極当然のように言い放った。この人は本当に謎が多い。
「彼女は自分に未来が見えなくなる度に同じ病を買っている。そういう運命をたどっているのだ。ただし前と違うのは 病を買う度に寿命が1日ずつ短くなっていってるということ。」
「つまり葛の裏さんは死ぬ前に人生をやり直す病にかかった、と?」 「ああ。それは多分なんらかの形で対価に支払う寿命が無くなるまで続く。44年後に生きていた彼女が病によってそうなるように生物としての運命をねじ曲げてしまったのだ。」
「じゃあこれからも葛の裏さんは寿命が1日ずつ減っていって、支払う寿命が無くなったらどうなるんです?」
凩の問いに白骨は一拍空気を吸うとこう答えた。
「消滅するだろう。彼女は寿命を削りながら存在が消滅するまでずっと、生まれ直しては、未来が見えなくなると病屋を訪れ、再び寿命の1日を代償にして生まれ直すという人生を繰り返す。」
その言葉に憐憫も畏怖も感じられない。酷く冷たい答えだった。
白骨の説明はにわかに信じられる話ではないのだがなんとなく理解はできた気がする。

葛の裏の見た未来はきっと、きっと自分自身が消え去ってしまう、その予見なのだろう。
僕たちはこのまま未来へと歩んでゆくのに、彼女はもう未来へ進む事ができない。彼女がいつかの44年後に買ったのはそういう病なのだ。
しかし思う事がある。
葛の裏が初めて病を買ったとされる44年後、その時に見た絶望はただ彼女自身の運命の予見だったのだろうか。
本当は本当にこの世界が消えてしまう予見だったのではないだろうか。
今を生きる凩にはそれを確かめる術は無い。

ワタゲ:未来滅亡篇
― 終 ―